空港という場所が好きだった

私は飛行機が好きだ。あの狭いエコノミークラスの席にこじんまりと収まって、長い間身動きが取れないという状況が好きだ。体があれだけ不自由になるのだから、仕事も何もできなくてもしょうがない。何もしていなくても全く罪悪感がない。後ろめたく感じることなく漫画や映画に長時間没頭できる。

だから飛行機、特に10時間くらいかかる長距離の飛行機が大好きだ。10時間という長いフライトを快適に過ごすために3日前くらいから準備をする。準備と言っても、タブレットに入れる漫画を選ぶだけだけど。時間を忘れるくらい面白い漫画がいい。以前ニュージーランドから日本に飛んだ時は、11時間くらいのフライトだったが、「嘘喰い」を30冊くらいタブレットに入れていたのであっという間に時間が過ぎた記憶がある。「嘘喰い」はあの時読んだのが初めてだったが、第一巻から最後まで最高に面白かった。

 

そして空港も好きだ。あのホリデーがこれから始まるという雰囲気。新しい何かが始まろうという空気。ワクワクする。空港にいる間だけは普段はあまり食べないようなジャンクフードやジュースなども買ってしまう。いい歳になったというのに、遠足気分なのだ。

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私が特に好きな空港はシンガポールのチャンギ国際空港だ。ここはとにかく広く、食事の選択肢も非常に多い。日本やニュージーランドの空港は出国ゲートをくぐってしまうと途端に寂しくなるのだけれど、チャンギ空港は出国後も楽しい場所がたくさんある。カフェも多いし、フードコートではシンガポール料理が安く楽しめる。有料ラウンジを使わなくても寝転がれる場所や散歩ができる中庭もある。さすがアジアのハブ空港。

 

そんな私だが、今回の日本行きのフライトだけは、飛行機も空港も全く楽しめなかった。母を看取るためだけに帰る旅だ。これから死にゆく人に会いに行く。いつもは明るく感じる空港内も、今回だけはトーンが1段階落ちたかのように薄暗かった。飛行機の中で映画を観ても頭に入ってこない。

どんな顔して母に会おう。泣いてしまったらどうしよう。薄暗いフライトだった。

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「死にゆく人の心に寄りそう」の感想 この本に助けられた

母はクリスマスの前に旅立って、残った私と姉はクリスマス当日に簡単な家族だけの葬式をした。

水分を取るのも苦労するようになった母は、その後も固形物は一切とらず、それでも2週間以上生き続けた。 普段は母とあまり仲が良くなかった姉も、最後の2週間は仕事を休んで泊りがけで母の面倒を見てくれて、どちらかというと私の方が手持ち無沙汰になってしまっていた。

人の体というのは不思議なもので、ほとんど栄養を取らなくても簡単には死ねない。水分を取るのも苦労するようになった母を見て、訪問医は「あと1週間あるかどうかでしょうね。」と言ったが、すでにガリガリだった母は気力だけで2週間生き続けた。本人はもう少し早く死にたがっていたと姉から聞かされた。

死にゆく人の心に寄りそう~医療と宗教の間のケア~

姉の同僚が「死にゆく人の心に寄りそう~医療と宗教の間のケア~」という本を貸してくれたので、ありがたく読ませてもらった。看護師でありながら僧侶の修行もして、臨床宗教師という少し特殊な仕事をしている玉置妙憂さんが書いたものだ。玉置さん自身も夫をガンで亡くしている。玉置さんの夫は苦しい抗がん剤治療をやめて、残された時間を自分の好きなことをしながら生きるという選択をした。

この本には、そんな玉置さんがどうして僧侶になったのかというきっかけ、ガンになった夫との生活、玉置さんが看護師として見てきた末期ガン患者の体に起こる変化や症状などが書かれている。

非常に読みやすい文で書かれているので、2時間程度ですべて読めてしまうし、臨床宗教師という仕事も興味深い。ただ、例え僧侶の仕事にそこまで興味がなかったとしても、この本の最初の章は読んでおいた方がいい。

最初の章では、玉置さんが看護師として末期ガン患者の最期の1ヶ月に起こる変化を解説している。一般人の中で、死の直前に人体に起こることを知っている人はどれだけいるだろう。

 

もうすぐ死ぬことが分かっている末期ガン患者が「死にたい」と言った時、なんて声をかければいいのだろう。「そんなこと言わないで、早く元気になろうよ。」これは正答ではない。

 

この本を読む前、水分を取るのに苦労するようになった母を見て、私は医者に「点滴でせめて水分と栄養補給はできませんか?」と頼んだのだが、医者はそれに対し「うーん、どうしてもというならするけど…」とあまりいい顔をしなかったし、本人も点滴を嫌がったため、結局は何もしなかった。本を読んだ後だから分かるが、水分を処理することができなかった状態で点滴をしたところで、苦しみが増すだけなのを、医者や看護師は分かっていたのだ。

 

死ぬ前1ヶ月、母の身体に起こったこと

 

死の直前1ヶ月は、1日単位で容体が変わる。昨日までできたことが今日できなくなる。かと思えば、信じられないくらい調子のいい日があったりする。何も知らなければ、そんな母を見ながら内心パニックになったと思うが、母の身体に起こったことは、順番・間隔は多少違えど、だいたいがこの本で説明された通りだった。

死の1週間前に急に容体がよくなる「うねり」と呼ばれる現象、夢と現実の区別がつかなくなるせん妄、そして何も食べていないのに突然出る大便。人は死ぬ前に体の中のものをすべて出し、綺麗な体になってから旅立つらしい。

最期の1週間は常に麻薬を入れていて、意識もはっきりしないような状態だったので、このやり取りにどれだけ意味があるのか分からないし、あまり関係ないと思うけれど、母が「いつになったら楽になれるんだろう」とつぶやいた時、姉が「もう大便も出たし、いつでも旅立つ準備は出来てるよ」と答えた。「そうか、よかった。」と安心したように母は返事をし、その翌日に逝った。

この本に何度も出てくるのだが、人は死の数時間前になると、顎で苦しそうに呼吸をするという下顎呼吸を始める。これが始まると数時間から24時間以内に逝くらしい。母の場合は下顎呼吸が始まってからものの数十分で逝ってしまった。これも本を読んでいなかったら何が起こったのか分からずに慌ててしまっただろうと思う。

 

この本のいいところは、残される家族のために書かれているところだ。「何にもできずに手持ち無沙汰になっても、末期がん患者にとっては同じ部屋にいてくれるだけで満足だったりする。」、「下顎呼吸は苦しそうに見えるが、本人にとってはそうでもない」等、最期を看取る側の人間が「あれもこれもできなかった」「これでよかったのか分からない」という罪悪感に襲われないように優しい言葉で溢れている。私はこの本に助けられた。

 

もちろん、だからと言って寂しくないわけではないし、母が死んだことは今も悲しい。もっと生前一緒に過ごせばよかった。

 

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母が少しずつ死んでいくのを見ている

 

固形物が食べられなくなってから医者と相談したら、食道にステントを入れて穴を広げたら飲み物くらいは飲めるようになるだろう、という提案をされた。でも、検査の結果、胃カメラが通るくらいのスキマはまだあるため、ステントを入れるのはかえって危険ということになった。ステントが胃まで落ちてしまうと、胃を破ったり内出血の原因になるらしい。何もできることがなくなった母は家に帰ってきた。それから1週間、いよいよ水を飲むのも苦労するようになった。

 

母の肺ガンは末期で、すでに体の色々なところに転移しているらしい。肺の周りにできた腫瘍が食道を圧迫しているため、固形物は1週間前から食べられなくなった。1週間前まではゼリーなどは少し食べることができたけど、今では水を飲むことすらおぼつかない。オレンジジュースを一口飲んで、氷を一つ口に入れてのどを湿らす。それがこの3日間の母の食事。そんな食事を1日に1度か2度する。

 

母は昔から強い人間だった。私の前で弱音を吐くことはほとんどなくて、弱気になるのはいつも私の役だった。

 

私は普段はニュージーランドに住んでいて、30半ばにして真面目に就職をしようと思い、学校に行っていた。あと1ヶ月でホリデー、年末はオーストラリアにでも行こうか、という時、母から末期ガンだと打ち明けられた。「あと3ヶ月くらいは大丈夫だけど、最後に顔を見たいから、ホリデーになったら帰っておいで」と最初の電話で言っていた母だけど、その1週間後の電話では「ごめん、やっぱりダメかもしれない。申し訳ないけど、すぐにでも戻ってきてほしい」と打って変わって弱気になっていた。私は急いでチケットを取り、5日後に日本に帰国した。

 

2年ぶりに実家に帰ると、ガリガリになった母が笑顔で迎えてくれた。「わざわざ帰ってきてくれてごめんね。あの時は弱気になってたけど、今は大丈夫になったから。」そんなに痩せて、大丈夫なわけないだろう、と私は心の中で思ったけれど、「意外と元気そうで安心したよ。」と口からは正反対の言葉が出てきた。

 

今、どんどん弱っていく母と二人で最後の時間を過ごしている。近くに住む私の姉がときどき様子を見に来てくれるが、姉は仕事も家庭もあるから、長い時間この家で過ごすことは難しい。

 

水しか飲めなくなってから、母は1日のほとんどの時間をベッドの上で過ごすようになった。ガンが分かった後、母は治療をしないという選択をした。母は10年ほど前にもガンにかかっていて、その時の抗がん剤治療がひどく苦痛だったらしい。この時も私は海外でフラフラしていたのだが、母は私に心配をかけないように治療が終わるまでガンだということも何も言わなかった。こうしてみると、私は親不孝者だなと思う。

母は次にまたガンになったら、緩和ケアだけにすると以前から言っていた。

 

ガンとの戦いは体力勝負。高齢で、かつガリガリに痩せてしまった母がこれから抗がん剤治療を開始しても、辛くて苦しい思いをする上に、きっと助からない。

 

「水やジュースをコップ一杯気持ちよく飲めないのが辛いけど、ガンによる痛みとかはないから、こんな感じで死ねるなら、案外悪くない最後だと思う。」弱った声で母が言う。私も正直、このまま痛みもなく眠るように死ねるなら、悪くないかなと思う。

 

ただ母の死を待つだけの生活が始まった。

 

身の回りの世話といっても、食事をしない母に対して私ができることといえば、氷を小さなカップに入れてあげることと、たまにオレンジジュースやバニラアイスを1口分だけ用意することだけ。あとは1日に2回ほどトイレに付き添うくらい。それ以外の時間、私は毎日何かするでもなく、隣の部屋で映画を観たり、本を読んだりして過ごしている。

 

母はこのまま死ぬことに納得しているし、自分の人生にも満足しているようだ。私も母の選択に納得している。このまま特に苦しまずに終われるなら、それがいい。こうやって自分に言い聞かせているけれど、それでも死んでいく親と二人きりで家にずっと一緒にいるというのは、やっぱりつらいものがある。

母に早く楽になってほしいという気持ちと、まだもう少しだけ死なないでほしいという気持ちが半々にある。それでもあと1週間くらいしか持たないだろう。

 

夜中に目が覚めると、私は母の様子を見に行く。 薄明るい部屋の中、母の掛け布団が呼吸でゆっくりと上下に動いているのを見ると安心する。