「死にゆく人の心に寄りそう」の感想 この本に助けられた

母はクリスマスの前に旅立って、残った私と姉はクリスマス当日に簡単な家族だけの葬式をした。

水分を取るのも苦労するようになった母は、その後も固形物は一切とらず、それでも2週間以上生き続けた。 普段は母とあまり仲が良くなかった姉も、最後の2週間は仕事を休んで泊りがけで母の面倒を見てくれて、どちらかというと私の方が手持ち無沙汰になってしまっていた。

人の体というのは不思議なもので、ほとんど栄養を取らなくても簡単には死ねない。水分を取るのも苦労するようになった母を見て、訪問医は「あと1週間あるかどうかでしょうね。」と言ったが、すでにガリガリだった母は気力だけで2週間生き続けた。本人はもう少し早く死にたがっていたと姉から聞かされた。

死にゆく人の心に寄りそう~医療と宗教の間のケア~

姉の同僚が「死にゆく人の心に寄りそう~医療と宗教の間のケア~」という本を貸してくれたので、ありがたく読ませてもらった。看護師でありながら僧侶の修行もして、臨床宗教師という少し特殊な仕事をしている玉置妙憂さんが書いたものだ。玉置さん自身も夫をガンで亡くしている。玉置さんの夫は苦しい抗がん剤治療をやめて、残された時間を自分の好きなことをしながら生きるという選択をした。

この本には、そんな玉置さんがどうして僧侶になったのかというきっかけ、ガンになった夫との生活、玉置さんが看護師として見てきた末期ガン患者の体に起こる変化や症状などが書かれている。

非常に読みやすい文で書かれているので、2時間程度ですべて読めてしまうし、臨床宗教師という仕事も興味深い。ただ、例え僧侶の仕事にそこまで興味がなかったとしても、この本の最初の章は読んでおいた方がいい。

最初の章では、玉置さんが看護師として末期ガン患者の最期の1ヶ月に起こる変化を解説している。一般人の中で、死の直前に人体に起こることを知っている人はどれだけいるだろう。

 

もうすぐ死ぬことが分かっている末期ガン患者が「死にたい」と言った時、なんて声をかければいいのだろう。「そんなこと言わないで、早く元気になろうよ。」これは正答ではない。

 

この本を読む前、水分を取るのに苦労するようになった母を見て、私は医者に「点滴でせめて水分と栄養補給はできませんか?」と頼んだのだが、医者はそれに対し「うーん、どうしてもというならするけど…」とあまりいい顔をしなかったし、本人も点滴を嫌がったため、結局は何もしなかった。本を読んだ後だから分かるが、水分を処理することができなかった状態で点滴をしたところで、苦しみが増すだけなのを、医者や看護師は分かっていたのだ。

 

死ぬ前1ヶ月、母の身体に起こったこと

 

死の直前1ヶ月は、1日単位で容体が変わる。昨日までできたことが今日できなくなる。かと思えば、信じられないくらい調子のいい日があったりする。何も知らなければ、そんな母を見ながら内心パニックになったと思うが、母の身体に起こったことは、順番・間隔は多少違えど、だいたいがこの本で説明された通りだった。

死の1週間前に急に容体がよくなる「うねり」と呼ばれる現象、夢と現実の区別がつかなくなるせん妄、そして何も食べていないのに突然出る大便。人は死ぬ前に体の中のものをすべて出し、綺麗な体になってから旅立つらしい。

最期の1週間は常に麻薬を入れていて、意識もはっきりしないような状態だったので、このやり取りにどれだけ意味があるのか分からないし、あまり関係ないと思うけれど、母が「いつになったら楽になれるんだろう」とつぶやいた時、姉が「もう大便も出たし、いつでも旅立つ準備は出来てるよ」と答えた。「そうか、よかった。」と安心したように母は返事をし、その翌日に逝った。

この本に何度も出てくるのだが、人は死の数時間前になると、顎で苦しそうに呼吸をするという下顎呼吸を始める。これが始まると数時間から24時間以内に逝くらしい。母の場合は下顎呼吸が始まってからものの数十分で逝ってしまった。これも本を読んでいなかったら何が起こったのか分からずに慌ててしまっただろうと思う。

 

この本のいいところは、残される家族のために書かれているところだ。「何にもできずに手持ち無沙汰になっても、末期がん患者にとっては同じ部屋にいてくれるだけで満足だったりする。」、「下顎呼吸は苦しそうに見えるが、本人にとってはそうでもない」等、最期を看取る側の人間が「あれもこれもできなかった」「これでよかったのか分からない」という罪悪感に襲われないように優しい言葉で溢れている。私はこの本に助けられた。

 

もちろん、だからと言って寂しくないわけではないし、母が死んだことは今も悲しい。もっと生前一緒に過ごせばよかった。

 

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